keith yoshidaの新・飯がわりに1枚!(Again) › 2008年12月17日
2008年12月17日
名盤/ PINK FLOYD & 四人囃子
続・名盤を探しに行こう/あれも聴かなくちゃ!これも聴きたし!
Vol.51(1998年07月号掲載)
見捨てられたとか、忘れられたとか、なんとも酷い表現。
消耗品と化した今時のJ-POPよりも文化的で、遙かに美しいプログレなのに!
ラジオ番組のインタビューって何だろう?全く記憶にありません。
どうせなら、ジミヘンとかドアーズって言っときゃ良かった(笑)
プログレは、多分、同時代を生きた人の中には、瞬間的にハマったって人が多い
のではないかと思われます。
フロイドはじめ、YES、EL&Pなどなど時代を彩ったアーティストは多数居るけど、
なんと言っても“PINK FLOYD”の存在感は別格でしょ。
あぁ~、KING CRIMSONもそうか?
ロックが不良とか色々書いてあるが、今の時代じゃ考えられないくらい、市民権
を得られなかった時もあったのです。
で、結局、未だに聴くのは前述の別格な存在の二つだけ・・・・・。
まぁ、それはしょうがないか。
見捨てられ、忘れられた音楽
“プログレ”って、どんな音楽だったっけ・・・・・
禁断の果実とまでは言わないが、今時ロックファンの間でも、殆ど聴いて
いる人が居ないじゃないかと思われるのが“プログレシッヴ・ロック(通称
=プログレ)”と言われるカテゴリーの音楽。
先日、とあるラジオ番組のインタビューで「思い出に残っているコンサートは?」
と聞かれて、「ん~、ピンク・フロイドかなっ」なんて答えたら、相手の方がチン
プンカンプン状態でした。
俺としては、もの凄くポピュラリティのあるアーティストを自信を持って言った
だけなんだけどな・・・・・。
でぇ、その後「今観たいアーティストは?」ってえのに「ニール・ヤング」って答え
たら、益々可笑しくなっちゃって・・・・・。
きっとB’zとかGLAYって答えときゃ、世の中平和に収まったのに。
でぇ、本当に思い出というか印象に残っているコンサートのベスト3に入るのが
1972年3月13日の「ピンク・フロイド札幌公演」。
なんせ、俺、まだ高校生だったもね。
友達と試験の真最中だったけど「観に行こう」なんて約束していて、見事に裏切ら
れ、一人淋しさと、心細さに耐えて観に行ったコンサートだった。
まぁ、あの頃、コンサートが頻繁にあった訳でもないし、ましてや本格的なロック・
コンサートなんて皆無な時代。
そりゃ、ロックなんだから不良は集まるし、ハッパや薬でイッちゃった奴が一杯いて、
ヤバイ!危険!ってのが世間一般的なあの時代のロックに対する認識。
それにしてもよくピンク・フロイドが来たよな。この札幌まで。
記録を調べたら東京、大阪、京都と札幌の4カ所の公演で、ちょっと開催地としては
変則的かもしれない。
でも当日、中島スポーツセンターに集まった観客達は、間違いなく全盛期間近の
ピンク・フロイドを体験する一夜を過ごした。
その夜の一部は「月の裏側」という未発表作品。
ご丁寧にも訳詞の載ったチラシが配られたこの未発表の大作こそ、のちに彼らの
人気を全世界で決定付けた「狂気」だったのです。

この「狂気」は翌73年3月に発売されて以来、全米のアルバム・チャート100位
内に連続566週チャートイン(何と10年以上だぜ)、という空前の大ヒットとなる。
我が日本でも一家に1枚的ポピュラリティを得たアルバムと記憶する。
今聴き返してみると、当時感じていた大仰さや小難しさを全然感じる事なく聴け、
何というか適度な“癒しの音楽”風に聴こえるから不思議だ。
勿論、こんなに売れたら真似、いやいや信奉して追従する者がいたって不思議じゃ
ありません。この日本でも。
四人囃子は、そんな日本のプログレ界の頂点に立った存在だった。

彼らのデビュー作は“癒し”とは別次元の、そうそう、ロックに対する熱~い情熱が
感じ取れる。
いってみれば、あの時代の日本のロックのジレンマみたいもんか。ん~ン、頑張れ!
日本みたいな。
そんな訳で、プログレ捨てたモンじゃないヨ。でぇ、気持ちはW杯、頑張って日本!
(6/7記)
PINK FLOYD / 狂気(1973年度作品)
四人囃子 / 一触触発(1974年度作品)
Vol.51(1998年07月号掲載)
見捨てられたとか、忘れられたとか、なんとも酷い表現。
消耗品と化した今時のJ-POPよりも文化的で、遙かに美しいプログレなのに!
ラジオ番組のインタビューって何だろう?全く記憶にありません。
どうせなら、ジミヘンとかドアーズって言っときゃ良かった(笑)
プログレは、多分、同時代を生きた人の中には、瞬間的にハマったって人が多い
のではないかと思われます。
フロイドはじめ、YES、EL&Pなどなど時代を彩ったアーティストは多数居るけど、
なんと言っても“PINK FLOYD”の存在感は別格でしょ。
あぁ~、KING CRIMSONもそうか?
ロックが不良とか色々書いてあるが、今の時代じゃ考えられないくらい、市民権
を得られなかった時もあったのです。
で、結局、未だに聴くのは前述の別格な存在の二つだけ・・・・・。
まぁ、それはしょうがないか。
見捨てられ、忘れられた音楽
“プログレ”って、どんな音楽だったっけ・・・・・
禁断の果実とまでは言わないが、今時ロックファンの間でも、殆ど聴いて
いる人が居ないじゃないかと思われるのが“プログレシッヴ・ロック(通称
=プログレ)”と言われるカテゴリーの音楽。
先日、とあるラジオ番組のインタビューで「思い出に残っているコンサートは?」
と聞かれて、「ん~、ピンク・フロイドかなっ」なんて答えたら、相手の方がチン
プンカンプン状態でした。
俺としては、もの凄くポピュラリティのあるアーティストを自信を持って言った
だけなんだけどな・・・・・。
でぇ、その後「今観たいアーティストは?」ってえのに「ニール・ヤング」って答え
たら、益々可笑しくなっちゃって・・・・・。
きっとB’zとかGLAYって答えときゃ、世の中平和に収まったのに。
でぇ、本当に思い出というか印象に残っているコンサートのベスト3に入るのが
1972年3月13日の「ピンク・フロイド札幌公演」。
なんせ、俺、まだ高校生だったもね。
友達と試験の真最中だったけど「観に行こう」なんて約束していて、見事に裏切ら
れ、一人淋しさと、心細さに耐えて観に行ったコンサートだった。
まぁ、あの頃、コンサートが頻繁にあった訳でもないし、ましてや本格的なロック・
コンサートなんて皆無な時代。
そりゃ、ロックなんだから不良は集まるし、ハッパや薬でイッちゃった奴が一杯いて、
ヤバイ!危険!ってのが世間一般的なあの時代のロックに対する認識。
それにしてもよくピンク・フロイドが来たよな。この札幌まで。
記録を調べたら東京、大阪、京都と札幌の4カ所の公演で、ちょっと開催地としては
変則的かもしれない。
でも当日、中島スポーツセンターに集まった観客達は、間違いなく全盛期間近の
ピンク・フロイドを体験する一夜を過ごした。
その夜の一部は「月の裏側」という未発表作品。
ご丁寧にも訳詞の載ったチラシが配られたこの未発表の大作こそ、のちに彼らの
人気を全世界で決定付けた「狂気」だったのです。
この「狂気」は翌73年3月に発売されて以来、全米のアルバム・チャート100位
内に連続566週チャートイン(何と10年以上だぜ)、という空前の大ヒットとなる。
我が日本でも一家に1枚的ポピュラリティを得たアルバムと記憶する。
今聴き返してみると、当時感じていた大仰さや小難しさを全然感じる事なく聴け、
何というか適度な“癒しの音楽”風に聴こえるから不思議だ。
勿論、こんなに売れたら真似、いやいや信奉して追従する者がいたって不思議じゃ
ありません。この日本でも。
四人囃子は、そんな日本のプログレ界の頂点に立った存在だった。
彼らのデビュー作は“癒し”とは別次元の、そうそう、ロックに対する熱~い情熱が
感じ取れる。
いってみれば、あの時代の日本のロックのジレンマみたいもんか。ん~ン、頑張れ!
日本みたいな。
そんな訳で、プログレ捨てたモンじゃないヨ。でぇ、気持ちはW杯、頑張って日本!
(6/7記)
PINK FLOYD / 狂気(1973年度作品)
四人囃子 / 一触触発(1974年度作品)