keith yoshidaの新・飯がわりに1枚!(Again) › 音楽 › 追っかけはほどほどに!
2024年08月25日
追っかけはほどほどに!
Bob Dylanのライヴ盤「偉大なる復活」が、
「偉大なる復活:1974年の記録」として、
CD 27枚組のボックス仕様で来月発売される。

このニュースを見て、
単純に「聴くの大変だ!」と云うのが最初に浮かび、
「買うのはホントの超マニア」、
そしてこのクラスのアーティストは「こんな商売が出来る」の三つの事が頭に浮かんだ。
CD時代、そしてストリーミング時代とデジタル化された音楽と付き合ってきたが、
所謂、拡張版とも言える未発表音源が聴ける周年記念盤や、
蔵出し音源集など、ゲップが出るまでとは言わないが、
流石に充分とも思える程味わった。
加えてネットに流出しているライヴ映像やら音源。
古いのか?新しいのか?
公式か?非公式か?なんて事など気にせずに聴いたり視たりしている。
が、それにも限度がある。
いくら好きなアーティストでも満腹状態が続くと、
良さも半減する。
でぇ、それらを追い続けている人、
大変だと思う。
このディランはCDを27枚聴くだけで、
相当の時間を要する。
ディランはライヴ毎で唄い方を変えると言われるが、
同じツアーのライヴだ。
それにも限度があるだろう。
世間で言う“推し活”なんだろうけど、
超マニアまでとはいかないが、
それなりに追っかけたアーティストもいたが、
それらを卒業とは言わないが、
要所要所だけの少し控え目なお付き合いにしただけで、
個人的には何か気持ちが楽になった部分もある。
で、こんな商売云々は、それなりのビッグネームになれば、
過去の活動をちゃんとアーカイヴしておけば、
こうして使えるって事。
これはかなり前から思っていた事だ。
とは云うものの、
ライヴ音源はネットに流出するし、
今時のアーティストはDTMで創っちゃう事も多いらしいので、
セッションなど殆どしないと思われるから、
余計なトラックはない(!?)。
となると、蔵出し音源も無理かもしれない。
J-POPに跋扈する形骸化した音楽は、
この先、何を遺すんだろう?
盛んに言われる“音楽の消費”の中に埋もれてしまう。
多分、そんな感じなのかもしれない。
「偉大なる復活:1974年の記録」として、
CD 27枚組のボックス仕様で来月発売される。

このニュースを見て、
単純に「聴くの大変だ!」と云うのが最初に浮かび、
「買うのはホントの超マニア」、
そしてこのクラスのアーティストは「こんな商売が出来る」の三つの事が頭に浮かんだ。
CD時代、そしてストリーミング時代とデジタル化された音楽と付き合ってきたが、
所謂、拡張版とも言える未発表音源が聴ける周年記念盤や、
蔵出し音源集など、ゲップが出るまでとは言わないが、
流石に充分とも思える程味わった。
加えてネットに流出しているライヴ映像やら音源。
古いのか?新しいのか?
公式か?非公式か?なんて事など気にせずに聴いたり視たりしている。
が、それにも限度がある。
いくら好きなアーティストでも満腹状態が続くと、
良さも半減する。
でぇ、それらを追い続けている人、
大変だと思う。
このディランはCDを27枚聴くだけで、
相当の時間を要する。
ディランはライヴ毎で唄い方を変えると言われるが、
同じツアーのライヴだ。
それにも限度があるだろう。
世間で言う“推し活”なんだろうけど、
超マニアまでとはいかないが、
それなりに追っかけたアーティストもいたが、
それらを卒業とは言わないが、
要所要所だけの少し控え目なお付き合いにしただけで、
個人的には何か気持ちが楽になった部分もある。
で、こんな商売云々は、それなりのビッグネームになれば、
過去の活動をちゃんとアーカイヴしておけば、
こうして使えるって事。
これはかなり前から思っていた事だ。
とは云うものの、
ライヴ音源はネットに流出するし、
今時のアーティストはDTMで創っちゃう事も多いらしいので、
セッションなど殆どしないと思われるから、
余計なトラックはない(!?)。
となると、蔵出し音源も無理かもしれない。
J-POPに跋扈する形骸化した音楽は、
この先、何を遺すんだろう?
盛んに言われる“音楽の消費”の中に埋もれてしまう。
多分、そんな感じなのかもしれない。
Posted by keith yoshida at 17:19│Comments(0)
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