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2009年10月07日
名盤/ Otis Redding & 小坂忠
続・名盤を探しに行こう!/あれも聴かなくちゃ!これも聴きたし!
Vol.78(2000年10月号掲載)
オリンピックと言えば、東京は残念でした。
とは言うものの、あまり東京でやる必要性みたいのを感じていな
かったので、個人的には残念とは思わなかった。
地球上の何処でやろうが、この発達した世の中、多少の不便を
我慢すれば、一応、リアルタイムで観る事が出来るのだから。
無理して、あの人が溢れている所で開催する事はない。
(音楽同様“生”に拘るなら別だけど・・・)
石原都知事は、これに使ったお金とか新銀行東京で失ったお金とかを、
どうやって回収するんだろう?
ツケは都民が全部被ってしまうんだろうか?
それにしても、スポーツ界と較べると、相変わらず音楽で世界に
出て行くのが難しい状況が続いている。
ちゃんとチャレンジしている日本人アーティストは居るのだけど、
なかなかいい結果が得られないようだ。
こじんまりと国内で競っている!とあるが、近頃のオリコンチャート
をみていると、シングルなんて酷いもんだ。
もはや音楽じゃないようなモノが一杯溢れている。
こんなのと比較されるまっとうな音楽をやっている方々の心中は
如何に?と思ってしまう。
売れているものの目安としてのチャートだから、世間一般の目が行く
のは分るが、どこかでこれと戦わないと陽の目をみる事が出来ないと
なると、なんかな・・・・・。
閑話休題。
オーティスが生きていたら、アル・グリーンなどのベテラン同様、
時々、凄くいい作品を出し続けていた事だろう。
ま、こんな“タラレバ”の話はしてもしょうがないのは分って
書いています。ハイ!
この人が生きていたら、R&Bシーンはどうなっていただろう?
“頑張れ!日本”と、日々テレビ中継に夢中になり、俄日本人魂を
発揮し続けたオリンピックの季節は、皆さんどう過ごされたでしょうか?
やっぱりこんな風に、ここぞとばかりに日本人選手の活躍振りに一喜一憂
してたんでしょうネ。(多分、私もそうなっていりはず)
まぁ、そんな事はどうでもいいんですけど、所謂、こうした国際的な場で、
勝ち負けは別として、世界と競え合えるスポーツっていいなっ~と。
それに較べると音楽って、こじんまりと国内で競い合って、セールスが
どうだぁ!とか言っている訳だもんネ。
野球にしろ、サッカーにしろ、ゴルフにしろ、海外で立派にやっている
日本人が大勢いるのをみると、もっと世界を相手にするミュージシャン
が出ていても可笑しくないのにな~と、つくづく思ってしまう今日この頃
です。
ってな話は置いといて、先月の亡くなったアーティストの話を今月も引き
ずります。
忘れちゃいかん!偉大なソウル・シンガーを!そう!オーティス・
レディングを。
熱心な読者(いるのかな?)には、先頃のO.V.ライトの項で、その名前
が出てきたのでご記憶の方も多いとは思うのですが・・・。
そのオーティス、日本でも「ドッグ・オヴ・ザ・ベイ」が大ヒットして
一躍有名になったけど、時すでに遅しで、この時点で飛行機事故で他界
していたのです。
サザン・ソウルを代表するシンガー“オーティス・レディング”が本当に
評価されたのが、この事故死の後。
当時ロック狂いだった筆者にも、数多くのロック・ミュージシャンの口
から発せられるオーティスの名前は、興味を抱く対象には充分な存在で
あり、後追いでその偉業を確かめる事になる。
そのオーティスの3枚目のアルバム「オーティス・ブルー」は、彼の
代表曲「リスペクト」を、そして同じく多くのカバー・ヴァージョン
が生まれた「愛しすぎて」を収録した1枚。
他にもストーンズの「サティスファクション」やサム・クックのナンバー
をカバーした「チェンジ・ゴナ・カム」や「シェイク」などを収録。
彼の名唱をたっぷりと味わえるアルバムに仕上がっている。
そんなオーティスを聴いていたかどうかは分からないが、このアルバム
から10年後に発表された小坂忠の「ほうろう」は、実にソウルフルな
唄声を聴く事が出来る作品。
それは当然ながら、よりアップ・トゥ・デイトなサウンドに包まれた
ものだが、ゴスペルチックに唄われる「機関車」などには、今だに身震い
を覚える。こんなのをもっともっと薄めると、今流行の和製R&Bに
なるのかしらん。
などと思ってみました。
“秋深し 深いソウルが 身に染みる。”な~んてネ。お粗末でした。
Otis Redding / OTIS BLUE(1965年度作品)
小坂忠 / ほうろう (1975年度作品)
Vol.78(2000年10月号掲載)
オリンピックと言えば、東京は残念でした。
とは言うものの、あまり東京でやる必要性みたいのを感じていな
かったので、個人的には残念とは思わなかった。
地球上の何処でやろうが、この発達した世の中、多少の不便を
我慢すれば、一応、リアルタイムで観る事が出来るのだから。
無理して、あの人が溢れている所で開催する事はない。
(音楽同様“生”に拘るなら別だけど・・・)
石原都知事は、これに使ったお金とか新銀行東京で失ったお金とかを、
どうやって回収するんだろう?
ツケは都民が全部被ってしまうんだろうか?
それにしても、スポーツ界と較べると、相変わらず音楽で世界に
出て行くのが難しい状況が続いている。
ちゃんとチャレンジしている日本人アーティストは居るのだけど、
なかなかいい結果が得られないようだ。
こじんまりと国内で競っている!とあるが、近頃のオリコンチャート
をみていると、シングルなんて酷いもんだ。
もはや音楽じゃないようなモノが一杯溢れている。
こんなのと比較されるまっとうな音楽をやっている方々の心中は
如何に?と思ってしまう。
売れているものの目安としてのチャートだから、世間一般の目が行く
のは分るが、どこかでこれと戦わないと陽の目をみる事が出来ないと
なると、なんかな・・・・・。
閑話休題。
オーティスが生きていたら、アル・グリーンなどのベテラン同様、
時々、凄くいい作品を出し続けていた事だろう。
ま、こんな“タラレバ”の話はしてもしょうがないのは分って
書いています。ハイ!
この人が生きていたら、R&Bシーンはどうなっていただろう?
“頑張れ!日本”と、日々テレビ中継に夢中になり、俄日本人魂を
発揮し続けたオリンピックの季節は、皆さんどう過ごされたでしょうか?
やっぱりこんな風に、ここぞとばかりに日本人選手の活躍振りに一喜一憂
してたんでしょうネ。(多分、私もそうなっていりはず)
まぁ、そんな事はどうでもいいんですけど、所謂、こうした国際的な場で、
勝ち負けは別として、世界と競え合えるスポーツっていいなっ~と。
それに較べると音楽って、こじんまりと国内で競い合って、セールスが
どうだぁ!とか言っている訳だもんネ。
野球にしろ、サッカーにしろ、ゴルフにしろ、海外で立派にやっている
日本人が大勢いるのをみると、もっと世界を相手にするミュージシャン
が出ていても可笑しくないのにな~と、つくづく思ってしまう今日この頃
です。
ってな話は置いといて、先月の亡くなったアーティストの話を今月も引き
ずります。
忘れちゃいかん!偉大なソウル・シンガーを!そう!オーティス・
レディングを。
熱心な読者(いるのかな?)には、先頃のO.V.ライトの項で、その名前
が出てきたのでご記憶の方も多いとは思うのですが・・・。
そのオーティス、日本でも「ドッグ・オヴ・ザ・ベイ」が大ヒットして
一躍有名になったけど、時すでに遅しで、この時点で飛行機事故で他界
していたのです。
サザン・ソウルを代表するシンガー“オーティス・レディング”が本当に
評価されたのが、この事故死の後。
当時ロック狂いだった筆者にも、数多くのロック・ミュージシャンの口
から発せられるオーティスの名前は、興味を抱く対象には充分な存在で
あり、後追いでその偉業を確かめる事になる。
そのオーティスの3枚目のアルバム「オーティス・ブルー」は、彼の
代表曲「リスペクト」を、そして同じく多くのカバー・ヴァージョン
が生まれた「愛しすぎて」を収録した1枚。
他にもストーンズの「サティスファクション」やサム・クックのナンバー
をカバーした「チェンジ・ゴナ・カム」や「シェイク」などを収録。
彼の名唱をたっぷりと味わえるアルバムに仕上がっている。
そんなオーティスを聴いていたかどうかは分からないが、このアルバム
から10年後に発表された小坂忠の「ほうろう」は、実にソウルフルな
唄声を聴く事が出来る作品。
それは当然ながら、よりアップ・トゥ・デイトなサウンドに包まれた
ものだが、ゴスペルチックに唄われる「機関車」などには、今だに身震い
を覚える。こんなのをもっともっと薄めると、今流行の和製R&Bに
なるのかしらん。
などと思ってみました。
“秋深し 深いソウルが 身に染みる。”な~んてネ。お粗末でした。
Otis Redding / OTIS BLUE(1965年度作品)
小坂忠 / ほうろう (1975年度作品)
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